好天のGW
他人との接触を徹底的に避けて疎開
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親子でサイクリング
自転車は意外にも全身を使うものだと翌朝の筋肉痛から知りました。

翌日は少々雨が降りました。
GW中でも、誰も行かない滅多に行けない場所を訪問しました。

多良木町中心部から車で峠道を約40分かけて進みます。
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槻木(つきぎ)小学校
現在は児童がおらず休校中です。

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小学校前には河川プールがありました。

旧槻木小学校を抜けて狭い道をさらに進むと
下槻木地区に入ります。その地区には
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平成 悠久石があります。

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平成18年の豪雨の際に林道の法面が崩壊した際に、その土砂の中から直径140cm、重さ約4tの巨大な丸い石が突如出現しました。

この巨岩は決して人工のものではなく、数千年前に形成された砂岩が風化侵食や流される途中で角が取れ円形となったものです。

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焼酎ケーキで有名な川辺製菓さんがおまんじゅうとして販売されています。

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悠久石よりさらに山奥へ向かいました。

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新西郷橋に着きました。

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西郷隆盛が西南戦争で官軍に破れ、宮崎県延岡から鹿児島の城山へ敗走する道中、明治10年8月27日に下槻木に到着しました。

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しかし、前日の台風の影響で川が氾濫し橋が流されており須木村(現小林市)に行くことができず、約20人の西郷一行は欅の大木を伐採して橋を造りました。

西郷一行は食糧も底をつき水を飲んで敗走していたため力が出ませんでしたが、下槻木地区の住民が牛を殺し捌いて厚く遇しをしたそうです。

西郷は地元民に深く感謝し、涙を流し御礼を言って這うようにして橋を渡ったそうです。その姿から西郷降参橋と呼ぶようになりました。

渡り終えた後は官軍の追撃を交わすため橋を壊そうとの意見がありましたが、地元民への御礼と不便を考えそのままにして行きました。

その橋は昭和初期までありましたが、現在はコンクリート製の新西郷橋として下流数百メートルに付け替えられています。

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写真右の下槻木地区から左側の宮崎県側へ道なき道を進み、わずか4日後に鹿児島へ帰り着きました。

世界中がコロナ禍で大変な時ですが、必ず夜は明けます。皆で協力して難局を乗り越えましょう。



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