ノムさんがお亡くなりになりました。
悲しいです。残念です。

心よりお悔やみ申し上げます。

戦後初の三冠王
通算3017試合出場、2901安打、657本塁打
南海ホークスの選手兼任監督として優勝を飾り、万年Bクラスだったヤクルトスワローズを3度の日本一に導きました。

選手晩年で西武ライオンズ在籍時代にオールスター出場された姿や解説者として「野村スコープ」による卓越した解説をテレビで見て覚えています。
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野村スコープ

当時、熊本県の我が家ではテレビ朝日は映らず、父が団地の屋上に上りアンテナをつけて福岡県系列のテレビを受信することができ、野村さんの細かい配球術を見聞きし野球観戦の面白さを感じたものです。


1992年、我が阪神タイガースは野村ヤクルトと最終盤まで優勝を争いました。しかし、あと残り2試合のところでヤクルトにうっちゃられました。

その年、亭主は10月10日甲子園球場のマウンド付近で胴上げされた野村監督を現場で目の当たりにしましたが、その時の姿が今でも目に焼きついています。

敗れはしましたが、ID野球を駆使し、ノムさんのボヤキの根源である「打倒讀賣」、しかも弱かったチームを率いて果たされたことは、日本プロ野球界にとって大きな偉業でした。


我が阪神タイガースの監督としては、3年連続最下位に終わったものの、種をまいて芽を出した選手達が星野監督の元で2003年にリーグ優勝を果たしました。
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弱かったチームなりに話題をふりまき
「ピッチャー新庄!」
遠山-葛西-遠山-葛西!のワンポイント継投(戦力の薄さをカバーする苦肉の策ですが、この継投では勝率10割)
「F1セブン」として盗塁王赤星選手など機動力ある野球を展開(打撃力がないチーム状況の打破)
投手力とバッテリーの育成は着々と進み、後の大エースとなる井川慶選手や矢野現監督や山田捕手の活躍などが後々花を開きました。

それらチームに残された功績はとても大きなものでした。

その後、楽天イーグルスの監督として、世界唯一の、選手としても監督としても共に出場3,000試合を達成されました。

あらためて野村さんの著書を紐解き、社会にも通じるその理論を学ばせていただきたいと思います。

2019年のヤクルトスワローズオールスター試合では代打で出場
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84歳で自力で歩行されるのも難しい野村さんでしたが、バットを一番長く持ちスイングされる姿と愛弟子達との関係が素晴らしい!(写真は拝借させていただいたものですが、有料でもぜひ欲しいです)


気を使ってシーズン前に旅立たれたのも氏らしいですが、最後まで月見草でなくても・・・。

日本の球界に偉大な記録と功績を残された氏は、国民栄誉賞に値すると思われます。

合掌