長崎市での会議を終え、帰りの船の時間まで少しだけ長崎市内を観光することができました。

長崎はここ数年で幾度と訪れていますが、これまでに行ったことがない個所をめぐりました。

路面電車で終点の「正覚寺下」まで行き
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かつて日本三大花街として栄えた「丸山」を散策しました。
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丸山は江戸時代から第二次大戦後までこの地にあった遊郭であり、井原西鶴はかつて「長崎に丸山といふ処なくば 上方の金銀無事に帰宅すべし」(長崎に丸山という場所さえなければ、役人さんも金を使わないで無事に家に帰れただろうに・・・)と言ったくらい、大変賑わったそうです。

幕末には坂本龍馬高杉晋作シーボルトトーマス・グラバーなどの多くの歴史上の人物や文人墨客が丸山で羽を伸ばしたそうです。

龍馬は、お龍さんという奥さんがいながら、彼女を下関にかくまった後に、丸山芸者「お元」さんとくつろいでいたそうな。(今はやりの「ゲス」です。)

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なお、お元さんはびわの産地として有名な「茂木」(もぎ)の出身です。

丸山から坂道や階段を少し登ると「中の茶屋」に着きました。
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遊女屋に付属した料亭を「茶屋」と言います。

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中の茶屋の庭園の景色がとても素晴らしかったです。

この建物 なんだか分かりますか?
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とてもレトロな雰囲気の「長崎警察署丸山町交番」
丸山公園前にあるので、「こち丸派出所」とも呼ばれているそうです。


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交番からすぐそばにあるカステラの「福砂屋総本店」

長崎一のカステラブランド
寛永元年1624年創業
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ロゴは「コウモリ」の形
コウモリは中国で慶事、幸福のシンボルとされています。

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キューブ形がお土産に大人気です。


丸山から細い路地や階段を通って「崇福寺」に行きました。

長崎では、キリシタン弾圧が厳しかった寛永年間(1624-1643)において、中国の人たちが仏教徒であることを示すために出身地別にお寺(唐寺)を建立したと言われています。

崇福寺は長崎に在留していた福州人が僧侶超然(ちょうねん)禅師を迎えて建立されました。
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入り口にあたる「三門(楼門)」です。
「三門」は三解脱門の略とされ、悟りの境地に至るために通る三つの門、「空解脱門」「無想解脱門」「無作解脱門」を意味します。

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「第一峰門」です。国宝に指定されています。
当初はここが第一門でしたが、この下に、新たに三門(楼門)が建立され、ここは二の門となるが第一峰門といいます。

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中央に即非(そくひ)禅師の書である「第一峰」の扁額があります。
軒下の四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)と呼ばれる複雑巧妙な詰組みは国内に例がなく、華南地方にもまれと言われます。

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これまた国宝の「大雄宝殿」崇福寺の本堂です。1646年建立。

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本堂の中の様子です。

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御本尊さまは釈迦如来像です。

向かって右脇侍に迦葉(かしょう)尊者、左は阿難(あなん)尊者ともの立像を従えている。 三尊は1653年造で、1935年頃の仏像修理の際、内部から「銀製の五臓」「布製の六腑」が胎内から発見されました。内臓模型を入れるのは「生き身の釈迦」としてインドに伝説があり、金属製の内臓をもつのは我が国でもめずらしい例です。

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「大釜」です。
重さ:約1,200kg、深さ:1.7m、直径:1.86m
一度に米630kg(約10俵)、三千人分の粥が炊けたそうです。

1681年に長崎は大飢饉に襲われ、餓死者もでた。その救済のために2代目住職千凱が鍛冶屋町の阿山家二代目鋳物師安山(あやま)弥兵衛に大釜を造らせ、この大釜で粥を炊き、多くの難民を救ったといわれています。

ありがたや・・・
たくさんの文化財が拝めるこのお寺にあって、炊き出しの先駆者である千凱住職に手を合わせてお寺を後にしました。


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